水子について
水子供養を行うことを考えるのとは別に、普段でも水子のことを急に思い出すことがあります。
水子が話しかけてもらいたいのかもしれません。
そのような場合は、手を合わせ合掌し、水子の霊に何か語りかけてあげてください。
水子も家族の一員ですから。
水子供養を、心をこめて修します。
水子供養とは、水子の精霊を心をこめて供養し、
生きている者の善行・功徳を水子へ回向し、浄土へ再びお帰りいただくまでの
一連の修法のことです。
お客様を家に招く場合、部屋の掃除をし、飾り付けをした応接間におとおしして、
ごちそうを作り、歌や、音楽や、楽しい会話で歓待します。
水子の霊を招く場合も同じです。
招いた水子の霊にお菓子を食べてもらったり、ミルクを飲んでもらったり、
おもちゃで遊んでもらい、お経を聴いてもらい歓待し、そして親の愛情を心と心、
以心伝心で伝え、満足してもらってから、再び、
浄土へお帰りいただくということになります。
水子供養を修し、さらに生きている者の善行功徳を水子のもとへ届け、
少しでも水子にとって良い方向になるよう考えるのも親心です。
水子にもできるだけの愛情を注いであげたいというのが親ごころです。
水子として亡くならず、産まれていたらどんなにかわいかったしょうか。
親として子供がいることで感じる幸福感はかけがえのないものです。
水子も子供として、母親の胎内にいたことには間違いありません。
母親として子供に対する愛情に変わりはありません。
水子供養をすることで、自身の苦しみや悲しみを少しでもへらすことができたらと思います。
年月、時間がたったかなり昔の水子のことでもきちんと供養しなかったことが忘れられず、
水子供養をされる方も増えてきているようです。
自分が、若い頃、水子供養をしなかったということを悔やんでの水子供養もあります。
親の心には子を亡くした悲しみがしみつきと、永遠にとれれません。
水子が浄土という苦しみのない世界でくらして欲しいという望みばかりです。
死者は浄土へ向かって、長い旅をすると言われ、水子も同様です。
なにぶん子供ですから、道に迷ってしまうこともありえます。
そんなとき頼りになるのが地蔵菩薩、いわゆる水子地蔵です。
水子が、少しでも早く、そして間違いなく、浄土へ到着できるよう連れて行ってくれるのが水子地蔵です。
旅の途中、魔物から水子を守ってくれるのも水子地蔵です。
親としては、自分の子供はすべて生存して欲しいと願い、親より早く亡くなって欲しくないと考えます。
真浄寺では、まこごろを込めて、水子の供養をいたします。
水子の精霊に対して戒名を授けることもあります。
位牌を作り、戒名を位牌に記載することになります。
自宅で水子供養を行う方法もありますが、特にしきたりや決まりはありません。
心から水子のことを思い話しかけてあげれば良いと思います。
亡くなった水子のことを思い、ぬいぐるみ、牛乳、お菓子、おもちゃを用意し供養してあげましょう。
水子のことを思うと申し訳けなかったという懺悔の気持から手を合わしたくなりますが、水子供養の目的は、浄土にいる水子に幸福になって欲しいと願うことにあります。
水子地蔵は水子が寂しくないようにといつも一緒です。
手を合わせ、水子地蔵に水子を浄土へ連れて行ってくれるよう心からお祈りください。
お地蔵様に水子の冥福をお願いすると親の思いがお地蔵様に伝わります。
水子は水子地蔵を抱きかかえられ安心で安らかです。
他の水子達も水子地蔵に守られいつも一緒にいますから楽しく暮らせます。
水子地蔵とは水子を守り、浄土へ連れて行く役割としての名前です。
水子地蔵という菩薩が地蔵菩薩とは別に存在するということではありません。
お地蔵様は六道輪廻の世界を縦横無尽に見回し、困った人がいれば救つてくれる菩薩様です。
あの世の世界まで守り、連れて行ってくれるのがお地蔵様です。
水子地蔵は、水子が六道の世界で迷っていたり悲しんでいる所を見つければ救ってくださり、瞬く間に浄土へ連れて行ってくれます。
お寺や道ばたでお地蔵様、水子地蔵様を見つけたら、手をあわせ水子のことを思い話しかけてあげましょう。
水子の精霊が供養して欲しいと親に求めているときに親は水子供養を急に思い立ちます。
水子に魂あるなら心の悩みから救って欲しいと親にすがることがあるといわれます。
水子の必死の訴えが祟られているのではないかというような現象を引き起こすと言う方がいます。
水子には知識も経験もなく、赤ちゃんままで、なにかなんだかわからない状況になります。
水子は、恋しい母にすがり会いたがり、水子供養を願います。
水子の霊は寂しくなることもあります、そんなとき親にすがりつきあまえたいと思います。
水子が何かを求めているときに、親は水子のことを急に思い出します。
親が水子を思うときに、水子も親のことを思っているのです。
つまり親子は同時に思い合っているのです。
体調不良が続いたり、家族が病気になったり、不幸な状況が続いたため、水子の霊が成仏していないからだとか、先祖が水子供養をしなかったため水子の霊が祟っていると言われ、不安になりご相談される方がいらっしやいます。
水子の霊が幻覚として現れたり、水子の祟りを感じるような心理状態に陥ることもあります。
不安な状況から抜け出すため、懺悔のため、水子のあの世での幸せのためから、水子供養を希望される方もいらっしゃいます。
善因善果、悪因悪果と言われるように、赤ちゃんである水子は、この世に生を受けていないため、善因も悪因もありません。
水子は、まったく清浄無垢の存在です。
心に雲がかかっていないため、水子の魂は、鏡のような仏性そのものです。
水子の霊は、間違いなく浄土へ行きます。
浄土で待機後、輪廻転生、あるいは守護霊など良い霊になると思います。
水子と、文字にあるように亡くなって身体が水になってしまった子供のことです。
人間の亡骸は自然に水に変化し、土にしみこみ、自然の一部となっていきます。
昔は、流産、堕胎することを表現して、「水になる」と言われていたそうです。
そう言われていたことから水子と呼ばれるようになったともされています。
人間とはもともとが自然の一部であり、特別の独立した存在ではありません。
生きていても自然の一部、死んでも自然の一部なのです。
水子も人であり、人の死から学ぶことはあります。
特に人間だけが特別な存在で、何をしても許されると思う傲慢さに気がつかなければなりません。
流産や死産で亡くなった子、何らかの理由での人工妊娠中絶生まれる前に亡くなってしまった子供のことを思うとつらくなります。
母親の胎内に子供が宿ったときから子供の生命は始まります。
母親と父親の性行為により生じ、何らかの理由で亡くなってしまった子供。
子供が亡くなるということは親にとって苦しみ以外のなにものでもありません。
懺悔、後悔にさいなまれることはいたしかたないことです。
亡くなった子の為に何かできることはないかと考えると思い浮かぶのが水子供養です。
つまり水子供養をすることは水子の供養の為だけではなく、親の懺悔と後悔の気持ちを緩和するためのものでもあります。
水子供養をしないと水子が迷い、浄土へたどりつけないと言われることがあります。
あるいは親に会いたくて寂しい思いをしているとか、一人でさまよっているとか言われることもあります。
少しでも親の不安をなくすためという意味からも水子供養を行うことの意義があります。
水子供養は、地蔵菩薩をご本尊として修する場合と、観自在(観世音)菩薩をご本尊として修する場合のいずれかの方法により、執り行われることが一般的だと思います。
両菩薩とも慈悲の徳で満ちあふれています。
お地蔵様は、水子の供養においては、子供を護り救うことから水子地蔵とも呼ばれています。
僧侶は、水子供養の本尊のお地蔵様、叉は観音様に対して水子のこと、施主様のことを心の中でお伝えし、水子の供養の修法を進めていくことになります。
水子供養のご依頼は、いつでも電話、メ-ルでご相談受け付けています。
水子供養は丁寧に対応いたします。
水子供養を行う時期に遅いということはございません。
供養を行おう、行おうと思っていても、時間を過ごしてしまうこともあります。
いざ水子供養をすると心も何か落ち着くものです。
水子の浄土での幸せを願うとともに、親自らも幸せに人生をおくることが水子から見たら幸せなことなのです。
心を強く持ち生活をしていくことが大切です。
もしお子様があれば我が子と共に幸せな家庭を築いくことが水子の為でもあります。
思いついたときに、おはよう、おやすみと心の中で声をかけてあげることも良いです。
やっと天から命を授かっても色々な理由で子供を諦める場合もあります。
いつまでも悲しんでばかりいると水子も不安になると言われます。
できるだけ早く心を立ち直らせ、元気を取り戻すことは、ご家族にとっても良い影響を与えます。
稽留流産で授かった我が子を失った場合や、検診の結果、やむを得ず大切な我が子とお別れすることもあります。
なんと悲しいことでしょう。
水子が宿ってくれたことにありがとうと感謝の気持ちを持ち、水子に対する愛情を忘れずに生活していきましょう。
水子のことを思うと悲しく涙がとまらなくなり、赤ちゃんに対して「ごめんね」の気持ちしかないと言われる方もいらっしゃいます。
ご供養の中で、涙がとまらなくなることもありますが、それは水子の精霊をより近くに感じられた為だと思います。
悲しみの涙ばかりではなく、精霊に近づけた、感じた、会えたという涙もあります。
また心に浮かぶ我が子が寂しそうな様子から元気に明るくなった姿になったように感じることもあります。
供養の最中は泣きっぱなしでも、供養終了後に、なんとなく気持ちが軽くなることもあります。
我が水子をいつまでも忘れることなく、毎日手を手を合わせ、浄土での幸せを願い、そして生きている家族を見守ってくれていることにきずきましょう。
ご供養で自分の気持ちの持ち方に一区切りをつけ、亡くなった赤ちゃんの事を受け止められるようになり、今生きているこの大切さに感謝して明るく生きて行きたいものです。